心身一如は生命本来のすがたである。
心とからだは車の両輪のように、どちらか一方を損ねても生命全体は完璧に働けません。
このことはわかりきった実態だというのに、かねてから今まで生命に対するやり方は、
肉体本位か、精神本位か、どちらか一方にかたよっているのです。
あなたの人生をより良く生き抜くための生命力(六つの力)を充実させる方法を考えてみましょう。

あなたの人生は心身一如の状態で生命力の増大と充実が実現!
先ずあなたの生命は直接的には、両親を介してこの世に生まれたのであります。
しかし、その根源は、人間はもとより人間以外の他のありとあらゆる生き物も、
もっと広範囲に大宇宙の中に存在するすべての物は、
その大宇宙のもつ予想をこえる巨大な力によって生まれ、その力によって働かされているのです。
このことは、哲学的にも科学的にも認められている実態なのです。
東洋哲学とりわけ中国では天地生成の根元を精気、霊気あるいは先天の一気と呼び、
人間の生命力を生気として、無形の気のもつ力が万物を生み、動かしていると説いています。
科学においても、アインシュタインの相対性理論と原子核・素粒子に関する高エネルギー現象の研究によって、
物質の質量とエネルギーとは互いに一定の比率で移り変りうるものであって、
本質的には同一のものの二つの面に過ぎないことが、理論的にも実験的にも証明されているのです。
宇宙エネルギーがわれわれの生命の中にうけ入れられ、精神面に現われると、
胆力、判断力、断行力、精神的精力、精神的能力とでもいうべき存在となり、
肉体面に現われると、体力、肉体的精力、肉体的能力というようなものになるという事だと言えます。
心身が調和して統一した状態にあれば、ほとんど無限といってよいほど巨大な宇宙エネルギーを、
分量多くわれわれの生命にうけ入れる態勢が完備している結果に繋がることとなります。
これと反対に心身が不統一で、アンバランスの状態にあれば、当然の結果として、
生命力はグンと低下して、病や煩悶や貧困といった不幸な状態に陥り易いことになるのです。
そこでわれわれは、なにをおいても、先ず心身の調和、統一を計らざるをえません。
そうしてこそ始めて生命力の増大と充実が実現することになります。
人生とは心身一如である
心身一如とは、心とからだとが調和を保ち、一つにまとまった状態ということです。
それではなぜ、あなたの心身が統一して心身一如になると、生命力すなわち
体力、胆力、判断力、断行力、精力、能力というような、
人生を価値高くそして生きがいあるものにするのに必要な力がふえてくるのでしょうか?
理由は簡単です。ひと口にいえば、心身統一という状態は、人間の命の本来のすがただからです。
あなたの命は、心とからだの二つから出来ていることは否定出来ない事実です。
ところが多くの人はこの事実を忘れ勝ちと言えます。
殊に物質的な考え方をする現代人の多数は、命といえばすぐ目に見える、
形のある肉体を指していうもののように決めてかかる。
その証拠に、生命力に溢れた人間、エネルギッシュな人といえば、体力旺盛な人を
想像するのではないでしょうか。
反対に宗教家や、哲学者や、修養道を説く人は、心の大切なことを力説するために、
肉体は現象界に形をもつ仮りのすがたで、精神こそ生命の本質を成す実在であるとして、
ともすれば肉体を軽くみる傾向が見られる。
事実は、疑いもなく心と身とが渾然一体となって、一個の統一体として存在し、はたらいているのが、命の本来のすがたということであります。
すなわち心とからだとが調和し、命全休が統一したすがたで、しかも活発にはたらいている状態にこそ、
生命力が最高度に発現されていることになります。
あなたが人生を価値高くそして生きがいあるものにするのには、
心にもからだにも片よらず、心身一如という生命本来のすがたをそのままに活かすことこそが、
生命力は充実し、その力は最高に発現するのです。
心身一如で生きるには
心身一如とは、別の言い方をすれば、人間が人間らしく生きるということです。
人間が人間らしく生きれば、病も不運も起きてきません。
あなたの人生に、病や不運が出たりしたら、それは人間として生まれながら、人間らしくないぞという警報だと思うことです。
そして、対処する方法として心の使い方を改めることです。
心というものを、どんなばあいでも「尊く」「正しく」「清く」「強く」つまり、心を積極的にしなければいけません。
心を積極的にするための、手っ取り早い方法は、心の中に雑念や妄念をもたせないように心がけることことから始めてみましょう。