人生とは何か?

この課題は、古来幾多の人々が、限りなく問いかけ、かつ回答してきた人間の恒久なテーマといってよいでしょう。

実際この問題ほど、われわれ人間にとって、深い関心の対象となった問題はないのはもちろんのこと、またこの課題ほど、人類が、その解答に苦しんだ課題もないといえましょう。

3つの意外とみんなが忘れている人生の尊さ

いわれれば気がつくことであるにしても、毎日をてんてこ舞いであくせくして過ごしていると、忘れてしまっている「人生の尊さ」ともいえる大事な事が三つあるといえるでしょう。

第一にあなた自身というものは、世界に唯一の存在なのだということであります。

現在約73億人と数えられる世界の人類の中に、当然のこととしてあなたと全く同じ人間は存在していないということ。

あなたにとって、あなたはかけがえのない貴重な存在であるという認識と自覚です。

第二あなたの人生は一度きりのもので、やり直しのきかない大切なものなのであるということです。

第三に今という時は絶えず流れ移り、未来から過去の中へと繰り込まれていく。

そして去った時は再び還りません。

あなたが確実に踏まえて、握りしめているのは今というタイミングだけです。

過去は及ばず、未来きたらず、今こそあなたが最も大切にしなければならないものと言えます。

あなたが常に人生に生きがいを感じて活きるためには、なによりも今のこの瞬間を充実して活きること、この心がけを忘れてはならない訳なのであります。

それにはどうしたら今を充実した人生として活きていけるか、その実際的方法と手段を確実に知り、それを実行に移さなければならないというわけです。

幸福への願いと現実の幸福

健康でその上幸福に活きたいという願いはいつの時代、どこの国でも、すべての人に共通な願望だと言えます。 

昔から学者や識者あるいは宗教家や教育者の幸福論は、飽きることなく現代にまで続けられています。

しかし、現実の人生に幸福を与えてくれるものは、まことに少ないというのが現実の姿です。 

精神本位に説く人は、幸福というものは、元来主観的のものだから心のもち方次第であると主張する。

なる程この考え方には一理はありますけど、実際にはそうたやすくできることではありません。

げんに他人はとも角、あなた自身は、日々本当に幸福な人生に活きているでしょうか?

昔から多くの人に共通して不幸の主な原因となっているものが人生の三大不幸として指摘されているものとして「病」と「煩悶」と「貧困」があります。

世の中には、病に負けず、煩悶に却って人生の意義を発見し、貧困を少しも苦にしないという人もまれには見受けられます。

そういう人は、非凡の人で、ほぼすべての人は、この三大不幸のうちのどれかに悩まされ、苦しんでいるのが実状ではないかと思います。

それ以外に病もあり、煩悶も絶えず、その上物質的にも恵まれないという気の毒な人もいます。 

この憶測が適正な裏付けは、あなたの周囲を見廻してご覧なさい。

あなたの家族、あなたの友人、あなたの知り合いに、本当にからだも健康、精神的な悩みも全くもたず、その上物質的にも豊かに恵まれている人が、はたして何人いるでしょうか? 

それよりもあなた自身が現在完全にそのような状態にあるかということです。

だれでも望む幸福な人生! 

あなたが、真に幸福な人生、生きがいある人生を手に入れるには、病、煩悶、貧困というような不幸の原因となりやすいものと断然縁をきり、人生の長さと強さと広さと深さという4つのファクターを兼ね合わせてこそ、人生の豊かさが生まれてきます。

不幸の根本原因を一言にしていえば、生命を構成する心とからだの不調和と消極化だということです。

この心身のアンバランスと不活溌な状態が生命力の減退を招き、あらゆる不幸を生み出す根本的要因となっている。 

従って生命力の充実とその完全発現こそ、真人生建設の基本的要件です。 

その人生を幸福に、そして価値高く活かすために必要な生命力は、「体力」「胆力」「判断力」「断行力」「精力」「能力」の六つに分けることができます。

頑健鉄の如き体力、容易に物に動じない胆力、明快的確な判断力、断乎颯爽とした断行力、絶倫尽きることのない精力、往くとして可ならざるなき抜群優秀な能力―このような力は、人間が本当に生きがいを感じる人生には、なんとしても欲しい力である。 

さて、あなた自身は、この六つの力のどれも充分にもっているといい切れますか?

まずは、心を調えることから始めましょう。

自ら処すること超然(ちょうぜん)

人に処すること藹然(あいぜん)

有事のときには斬然(ざんぜん)

無事のときには澄然(ちょうぜん)

得意のときには澹然(たんぜん)

失意のときには泰然(たいぜん)

これは、明の崔後渠(さいこうきょ)の「六然訓(りくぜんくん)」という教えです。

安岡正篤師は、「この『六然訓』を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えて、それとなく心がけてきた。

実によい言葉で、まことに平明、しかもわれわれの日常生活に即して活きている」と述べて座右の銘にしていたようです。

その意味するところは、

自分のことばかりに固執し過ぎず、

他人には和気あいあいと接し、

何事か起こったときには、刀で一刀両断するがごとく、てきぱきと対応し、

平安無事の時は心を澄ませ、

得意の時は奢らず、淡々とし、

失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、

泰然(自若)として大所高所から眺めるとそれまでは

見えていなかったことに気づき、死地を脱することができる。

これが、全てできれば「人生の達人」といったところです。

このような六然に近づくために、人間力を磨きましょう!