武道

空手の型に意味はないのか?武道空手の型は実戦のひな形ではない!

空手の型が意味するもの
空手をこれから始めたい人や初心者、今空手を習っているがなかなか思うように成果が出ないで悩んでいる人などに、上達するための空手の型の意味と種類についてご紹介します。

 

空手の型は一人で演ずるものであり、各個人の体力や能力、年齢、性別、先天的な資質に関係なく、誰もが今持っている能力、体力に合わせて稽古することができます。

 

これは、他の武道にはない空手の大きな特徴の一つです。

 

空手の型が意味するものとは

 

空手は型に始まり型に終るとさえいわれています。

 

その意味するものとは、空手の型は徒手空拳で戦う武術のエッセンスであり、武術者の魂がこめられている極意の集積であり、かつその人の自然体としての武術的な術技的身体に達し得る実戦技の源泉です。

 

したがって型を学ぶとは、型が示す心身の理想的なあり方を一つの到達点として、とりもなおさず己自身を見つめ直すということになります。

 

型そのものは実戦そのものの経験法則のなかから、すぐれた武術者によってあみだされ、生命をかけた真剣勝負のはてに生まれたものから実戦を想定して、合理合法的な手段として定型化されたものです。

 

そのために、実戦において使える技そのものと誤解されやすいところです。

 

しかし、型は実戦のひな型ではなく、実戦の場で自己の生命を守り、相手を制することのできる術技的心身を創り上げるための手段であり、方便なのです。

 

武術は先ず技を知り、技を稽古し、技に熟達しなければなりません。

 

では、技を知り、技を一生懸命稽古して磨き、技に上達したからといって、実地の場で使えるかといえば、それはたやすく使えるものではありあせん。

 

空手の型の初心者が理解しておくべき大事なこと

 

空手の型を実戦を想定したものとしてとらえてしまうと、そこに型の形骸化という形あって実質の無いものになってしまうのです。

 

例えば、空手の型の試合がオリンピック種目に採用されていますが、競技空手としての型ですから、これは、まさに型の形骸化であって、多くの空手経験者に型に対しての疑問を抱かせる原因となっています。

 

型の重要性は、動きの本質的な部分なのです。

 

そのため、あなたが見ている型の動きのすべてを誤りなくすべて出来たとしても、そのあなたが見てる型の動きには「技」が存在していないことを認識すべきなのです。

 

型が伝えているのは、まさにその見えない技と実際の動きに関係なく存在する武術的心身を得るための根拠を指し示しているもの。

 

型によって、動きの質が変わり得る動きの原理が理解できた時に、動きそのものが「技」として姿をあらわすのです。

 

そういった型の声なき声を聞き、形なき形を見る―それは真理を己の心身にうけとめながら、技から術へ、術から理へ、理から道へと己を高めていくことです。

 

空手の型には真理の無限性がこめられています。

 

技法無限、道無限の空手の型の修業は求道一筋。空手道の修業は、毎日の型の稽古をぬきにしては考えられません。

 

毎日、日常の行として型の稽古をしていく。だからこそ、空手は型にはじまって型におわるとさえいわれるのです。

 

空手の型の基本型 ナイハンチ(ナイファンチ)の重要性

 

空手の型の基本型を平安(ピンアン)初段~五段と思っている人(指導者を含めて)が多いようですが、空手を武道とした場合、那覇手の基本型はサンチン(三戦)であり、首里手の基本型はナイハンチ(ナイファンチ・鉄騎)となります。

 

武道修行における自然体は、日常生活での「自然体で臨む」といった自然体とは異なる「技」としての自然体です。

 

「技」としての自然体は内なる中心感覚と他人との距離感覚の二つが表裏一体となって働くところの身体感覚です。

 

この感覚を腰や肚、「臍下丹田」の感覚として、かっての武術の達人たちは中心感覚として実感していたのです。

 

この伝統的な中心感覚が「肚を据える」「肚を練る」「肚が太い」などの表現になり、心理的安定感につながって、「平常心」として精神面までリラックスしながらも充足感に満ちている心境に繋がっていった。

 

空手の型の基本型には、体を通して得られる体感と認識を無意識化する一連の鍛錬を繰り返す中で、次元が高まり相手より強くなりたいなどという相対的な技からあなた自身の変化を求める絶対的な方向に変化していく、 この絶対的な方向への変化によって自然体、平常心への一歩となる術を生み出すことができるのです。

 

私は首里手系の和道流が中心ですので、基本型の重要性についてはナイハンチの型でご説明します。

 

ナイハンチの型とは

 

ナイハンチは発音の当て字で「内歩進」と書かれ、その他ナイハンチン、ナイファンチ、ナイファンチン、鉄騎など、流派によって呼び名が違っています。

 

歴史的には、台湾伝来の鶴拳法の套路に「内膝」という套路があって、これを「ナイセン」と発音。

 

福州語では「内膝」の読みは「ノーハンチ」で、この台湾鶴拳法の套路が沖縄に伝わり、福州語読み「ノーハンチ」が沖縄訛りとなって「ナイハンチ」となったものと推察できます。

 

この型は「内膝」の名の示す通り、内股立ちの横歩きと、内足払いが特徴になっています。

 

そこで、ナイハンチの型は沖縄では古来より基本型でありながら実戦型と言われてきました。

 

この型は非常にシンプルで、動きの方向は横一直線上で立ち方はナイハンチ立ちがほとんどです。

空手の型
型は外に「見える部分」とその挙動を支配している「見えない部分」とがあり、前者を「外」、後者を「内」と表現すると、ナイファンチの型は「外2内8」ぐらいの構成であると考えられます。

 

一般に武術という概念からどうしてもパワー的な力でやりがちですが、「外8内2」の力と「外2内8」の力では全く話にならないくらいの差があり、これにいつ気づくかが大事であり、真の武術はこの「内」の重要さに気付いた時から始まると言えます。

 

その「内」では一般的運動理論ではとらえられない質の異なった身体運動が生まれ、動きの行程の短縮した動き方によって身体にその技術の感触が残るので目標ができます。

 

型によって学ぶべきことはいろいろありますが、武術的身体の基本としてもっと大事なのが「正中線」です。

 

この「正中線」も見えない「内」の一つです。

 

見えないが現に存在する、身体の基準線であり、いくら真直ぐに立って気をつけをしてみても、決してあらわれることはありません。

 

型に隠されている武技を前提とした身体の術技性、巧緻性に支えられて、武術の正中線としてあらわれるのです。

 

計器で測るようなパワー的な力は目や言葉で分かりやすいですが、武術に必要な瞬発力、目に見えぬ技、ゼロの力などは、パワー的な力では到達の出来ない世界であり、型により、自己を否定することによってあらわれてくる世界です。

 

ナイハンチの型は我を捨て、自然体化した鋳型にはめ込んで、今までのあなたの悪しき日常的不自然体を消して、新しく異なる術化した身体を創り上げるのです。

 

最初に述べたように、徒手空拳で戦う武術のエッセンスである空手の型・ナイハンチは、武術者の魂がこめられている極意の集積であり、かつその人の自然体としての武術的な術技的身体に達し得る実戦技の源泉です。

 

そのことを踏まえて、現在の競技化した型試合のための稽古でなく、本来の生きた型の稽古として実践を積み重ねることによって「柔よく剛を制す」武術の世界が再現されるでしょう。

 

 

空手の4大流派の概略と型の種類を紹介!

 

糸洲安恒の明治41(1908)年の遺稿に、

『唐手は、儒佛道より出候ものに非ず、往古昭林流、昭霊流と云う二流派支那より伝来したるものにして、各々長ずるところありて、其儘保存して潤色を加う可らざるを要とす(後略)』(原文のまま)

とあります。

 

したがって当初は、空手に流派はなく、上記のように技法の特徴を表わす系統として元々二分野があったとされていたようです。

 

その後の文献によく使われている「首里手(昭林流)」、「那覇手(昭霊流)」及び「泊手(昭林流に近いが固有の特徴を持つ)」の3つは、便宜上の名称として使用されていたのです。

 

空手の場合、柔道や剣道が近代化(統一的傾向)への道を歩んだのと逆に、本土移入以降、流派が数多く分化へと向かったのです。

 

その流派の代表的な存在として伝統派空手のうちでも4大流派と言われているものが松濤館流、剛柔流、糸東流、和道流の4流派です。

 

そこで、今回は、この空手の4大流派について概略の説明と型の種類をご紹介します。

 

4大流派の松濤館流の概略と特徴

 

開祖は船越 義珍(1868~1957)昭和14(1939)年に東京雑司が谷に道場を開設したとき、富名腰の雅号「松涛」を転用して道場名「松涛館」と命名したことによるとされています。

 

船越は沖縄県人で首里手の系統。大正11年本土に初めて公式紹介し、そのまま東京都に留まり指導し、本土普及の嚆矢となる。立ち方の歩幅が広く、腰も低く、遠い間合いからの一撃必殺が強み。直線的技法が多く、動作がダイナミック。

 

4大流派の剛柔流の概略と特徴

 

開祖は宮城 長順(1888~1953)14歳で那覇手の名手・東恩納寛量の門に入り、18歳の時単身中国福建省にわたり、本場の中国拳法を2年間にわたって研鑽して帰国、昭和5(1930)年に至って独自の技法を体系化し、昭和10(1935)年の武徳祭の直前に拳法八句の「法は剛柔を呑吐す」の条から引用し「剛柔流」と称したのです。

 

宮城は沖縄県人で那覇手の系統。大日本武徳会から空手界で最初に教士称号を授与される。立ち幅狭く、接近戦向きの特徴を持ち、粘っこさと強靭な身体鍛錬法を特徴とする。

 

4大流派の糸東流の概略と特徴

 

開祖は摩文仁賢和(1889~1952)13歳の時に首里手の糸洲安恒の直弟子になり、20歳の春には那覇手の先駆者である東恩納寛量の門に入っている。

 

摩文仁は昭和3(1928)年上京するが、日本に渡った琉球空手家の中で首里、那覇の両手を完全に習得していたのは摩文仁をおいて他にいません。

 

上京をした翌年には大阪に移り、昭和8(1933)年に関西大学の唐手部師範に就任。翌9(1934)年大阪に養秀館道場を開設するにあたり、自分の恩師である両師匠の頭文字を一文字ずつ拝用して流名とし大阪市を拠点に指導を行い、空手の理に明るかったとされる。

 

4大流派の和道流の概略と特徴

 

開祖は大塚 博紀(1892~1982)数え年6歳という幼少の頃より柔術を習い、県立下妻中学校に入学した明治38(1905)年に同校の武術教師である神道揚心流の中山辰三郎の門に入っている。

 

大正9(1920)年には神道楊心流の免許皆伝を免許され、富名腰義珍の明正塾へ通い始めた当時は既に柔術家としても専門家であった。

 

大正13(1924)年5月に皇居済寧館道場で行われた武道演武会に沖縄唐手術が参加した際、大塚博紀は自ら考案し創作した「唐手術の乱取形(現在の約束組手)をはじめ「短刀捕り」「真剣白刃捕り」を演舞し、絶賛を博している。

 

こうしたことがきっかけとなり、大塚は昭和8(1933)年5月に「和道流」を創流する。大日本武徳会がこれを公式に認知したのは昭和13(1938)年4月である。

 

柔術色が強い為に、沖縄空手とは一線を画す従来の空手にはなかった「転位、転体、転技」を重視し、「流す、往なす、乗る」技法を特徴としています。

 

松濤館流の型の種類

 

松濤館流の全日本空手道連盟指定形:

* 第一指定形 観空大(カンクウダイ) 慈恩(ジオン)
* 第二指定形 観空小(カンクウショウ) 燕飛(エンピ)

他に

平安初段(ヘイアンショダン)~平安五段(ヘイアンゴダン)

鉄騎初段(テッキショダン)~鉄騎三段(テッキサンダン)

王冠(ワンカン)

珍手(チンテ)

五十四歩小(ゴジュウシホショウ)

五十四歩大(ゴジュウシホダイ)

岩鶴(ガンカク)

明鏡(メイキョウ)

壮鎮(ソウチン)

抜塞大(バッサイダイ)

抜塞小(バッサイショウ)

十手(ジッテ)

半月(ハンゲツ)

二十四歩(ニジュウシホ)

雲手(ウンス)

慈陰(ジイン) があります。

 

剛柔流の型の種類

 

剛柔流の全日本空手道連盟指定形:

* 第一指定形 十八手(セーパイ) 砕破(サイファ)
* 第二指定形 十三手(セーサン) 久留頓破(クルルンファ)

 

剛柔流の型は全部で12個

 

基本型

三戦(サンチン)

開手型

撃砕第一 (ゲキサイダイイチ)

撃砕第二 (ゲキサイダイニ)

砕破(サイファ)

制引戦(セイユンチン)

四向戦(シソーチン)

三十六手(サンセール)

十八手(セーパイ)

久留頓破(クルルンファ)

十三手(セーサン)

壱百零八手(スーパーリンペイ)

閉手型

転掌(テンショー)

 

糸東流の型の種類

 

糸東流の全日本空手道連盟指定形:

* 第一指定形 バッサイ大(バッサイダイ) セイエンチン
* 第二指定形 松村ローハイ(マツムラローハイ)) 二十八歩(ニーパイポ)

 

糸東流の形は首里手・那覇手を中心に形の種類が多い。

 

糸洲派

平安初段(ヘイアンショダン)~平安五段(ヘイアンゴダン)

内歩進初段(ナイファンチンショダン)~内歩進三段(ナイファンチンサンダン)

慈手(ジッテ)

慈音(ジオン)

慈允(ジイン)

腕秀(ワンシュー)

鷺碑(ローハイ)

抜砦大(バッサイダイ)

抜砦小(バッサイショウ)

泊バッサイ(トマリバッサイ)

松村バッサイ(マツムラバッサイ)

チャタンヤラ・クーサンクー

松村ローハイ(マツムラローハイ)

コウソウクンダイ(公相君大)

コウソウクンショウ(公相君小)

シホウコウソウクン(四方公相君)

鎮東(チントー)

鎮定(チンテー)

五十四歩(ゴジュウシホ)

 

剛柔流

三戦(サンチン)

転掌(テンショー)

十三(セイサン)

征遠鎮(セイエンチン)

十八(セイパイ)

三十六(サンセール)

暮留波(クルルンファ)

士操鎮(シソーチン)

西破(サイファ)

壱百零八(スーパーリンペイ)

 

参考型

新垣派

二十四(ニーセイシ)

操鎮(ソーチン)

雲手(ウンシュー)

 

松茂良派

腕貫(ワンクワン)

安南(アーナン)

安南公(アーナンコー)

パーチュー

ヘイクー

パイクー

 

鶴法

白鳥(ハッファー)

八歩連(パープーレン)

二十八歩(ニーパイポ)

 

摩文仁賢和創作

青柳(アオヤギ)

松風(マツカゼ)

明星(ミョウジョウ)

 

和道流の型の種類

 

和道流の全日本空手道連盟指定形:

* 第一指定形 チントウ セイシャン
* 第二指定形 クーシャンクー ニーセーシ

 

和道流の型はピンアンのほか10種類

平安初段(ピンアンショダン)~平安五段(ピンアンゴダン)

ナイハンチ

公相君(クーシャンクー)

セイシャン

チントウ

バッサイ

ジオン

ニーセイシ

ジッテ

ローハイ

ワンシュウ

空手の型の名前の由来解説

 

空手の型は、現在の競技での型の考え方とは全く違っています。

 

一つの「型」を最低三年以上は稽古したと言われたり、あるいは名のある師範でも「型」を二つ三つきり知らなかったという話もあるほどです。

 

そして、空手の練習方法は、記録や言い伝えによる型の中に含まれる技を取り出し、その技を一人又は複数の人数と対戦し、対武器技をも合せて繰り返し約束組手のように反復練習していたようです。

 

ここでは変わった名前が多い空手の型の名前の由来や意味などをいくつかを選んで解説します。

 

サンチン(三戦)

 

三戦をサンチンと読むのは福建武術独特なもので、他の地方の武術用語には見られないようです。

 

この三の字は一とニの合字で天地人の道を表し、三以上は多数の意となるのです。

 

例えば、「三三五五」「三戦三送」「再三」などで、ここらから、三戦は繰り返し日に幾度も鍛錬せねばならないことを意味しています。

 

剛柔流空手の三戦は、沖縄に伝来した後に貫手が握拳(握った拳)となったといわれています。

 

チントー

 

当て字で「鎮斗」「鎮東」などと記されています。

 

チントーは、福建省安南県の人から泊の松茂良興作に伝授されたと伝えられ、泊手、首里手を代表する型です。

 

この型の出自は、福建省の南少林五祖拳の套路「沈頭」で、読みは「チントウ」です。

 

その特徴は、体を低くし頭部を防ぐ動作があって名付けられたと言い伝えられています。

 

その套路の発音「チントウ」が「チントー」になったのです。

 

五祖拳には五十余りの套路があって、その中で「チントウ」は優れた型の一つに相違ないが、最強の套路ではなく、更に至難で高度な技法を持つ套路が数々あるといわれています。

 

パッサイ

 

「抜塞」「抜砦」などの当て字で記され、型は大・小二つ伝わっています。

 

試合や演武会で使われることが多く、よく知られた型といえます。

 

明代初期に少林寺の「少林五拳」や「福建南拳」には架空神獣の龍や鳥獣に象られた型の名称が多くあります。

 

パッサイの第一動作は豹拳の特徴を持ち、他に獅子拳が含まれることから、「パッサイ」は「豹獅拳」でないかとしている。

 

福州語で豹は「パーッ」、泉州語は「パゥ」となり、「獅」は福州語も泉州語も共に「サイ」と呼ぶ。そこで「豹獅」を福州語で「パーッサイ」、泉州語では「パゥサイ」となる。これらが沖縄訛りになって「パッサイ」になったと言われています。

 

セイサン

 

十三歩(セイサンプー)です。十三は北京語でシーサン、福州語でセイサン、.南語(びんなんご)でツアッサン、広東語でサアッサンといいます。

 

これらから沖縄空手のセイサン(十三歩)の型は福州地方の拳法が伝来したのではないかと考えられます。

 

しかし、十三歩の本当の原点は福州ではなく、同じ福建省永春県の白鶴拳に発生源があるようです。

 

その他、数字の付く型にセイパイ(十八歩)、二―セーシー(二十四歩)、サンセール―(三十六歩)、ウーセーシー(五十四歩)、スーパーリンペー(一百零八歩)などがあります。

 

クーサンクー

 

この呼び名については、糸東流は「コウソウクン」(公相君)、和道流は「クーシャンク―」、松濤館流は「観空」(船越義珍が型を漢字表記改めた際に名付けられた)です。

 

元来、クーサンク―の型は三種あって、クーサンク―大、クーサンク―小、四方クーサンク―がそれです。

 

元々、型が編み出される過程において、三つの型が作られるケースが多かったようです。

 

現在、競技大会で好んで選択されるチャタンヤラクーサンク―は、クーサンク―大に相当します。

 

ワンシュウ

 

この型は泊手の代表的な存在とされており、漢字で「汪輯」「汪楫」又は「腕秀」と表記されてます。

 

更に、この型はクーサンクーと同様に、琉球国渡来の冊封使が伝授したとされてます。

 

この型は、漢字の呼称で「汪輯」と名づけられ、それは「汪輯」という拳士が伝えた拳技だとされています。

 

その原因は、「汪輯」が日本的な読み方でワンシュウに似た発音であることと琉球渡来の冊封使正使の中に「汪輯」なる人物がいることに由来した結果だと思われます。

 

サイハー

 

この型があるのは剛柔流のみで、当て字で「最破」とか「砕破」などの字を使用しています。

 

福州武術の套路に「獅法」というのがあって、発音は「サイファ」。

 

獅子拳法は南宋時代(1127~1279 年)に福建省永泰県で発生し、清代初期に福州に伝わったもので、この「獅法」の福州語読み「サイファ」が剛柔流の型「サイハー」になったと言われています。

 

セイエンチン

 

東恩納寛量が伝えた剛柔流の型で、当て字で「征遠鎮」、「征引鎮」、「征遠戦」と書かれるが、この型は鷹の闘争や諸動作を取り入れて編み出された套路の「青鷹戦」のことです。

 

「青鷹戦」の福建語読みは「チェイイチン」となり、それが沖縄訛りとなり「セイエンチン」となったのです。

 

最初の両手を広げた所作は、鷹が大きな翼を広げて相手を威嚇しているかの如く、中ほどの「掛手受け」は鷹が爪で獲物を掴む動作、最後の「諸手繰り受け」も、戦い終わった鷹が翼の納める動作に通じると見ていいでしょう。

 

クルルンファ

 

福州語で龍のことを「ルン」と言う。即ち「クルルンファ」の「ルンファ」は「龍法」であって、その前に「臥」が付いた套路「臥龍法」のようです。

 

それを福州方言で読ませたところ「ゴールンファ」、沖縄伝来後に沖縄訛りで「グールンファ」となり、更に濁音が清音に変化する傾向から「クルルンファ」となったのだろう。

 

スーパーリンペー

 

現在「スーパーリンペー」(一百零八歩)と呼ばれる套路は、福州と泉州などに分布しているようです。

 

「スーパーリンペー」という発音は、福州語の「ソバーリンパイ」と、永春方言(泉州語)の「チバーリンペー」の呼称が混じり合って変化し、今の空手界に広まっています。

 

沖縄語の語音変化(三母音が主となる)からセがシに、ソがスに変化する傾向があることから、「ソバ」が「スパ」になり、「チバ―」が「スーパー」になり、「リンパイ」のところは泉州語の「リンペー」を借りているようです。

 

数多くある型の中から10個ほどの空手の型の名前をご紹介しましたが、空手の型は技術の修錬法であるとともに伝承法でもあります。

 

そして型は基本動作から発し、最も効果的な技法の行使が体系化された極形の姿でもあります。

 

その型をを習得することによって組手、実戦への変化応用すなわち「形」「術」という個々独自の技を創造することによって緩急自在と、相手を想定した集中力や気魄、そして観察眼が養成されるのです。

 

まとめ

空手をこれから始めたい人や初心者、今空手を習っているがなかなか思うように成果が出ないで悩んでいる人などに、上達するための空手の型の意味と種類について概略を述べましたが、お分かりになられたでしょうか?

 

まずは、首里手であればナイハンチ。那覇手であればサンチン。

 

首里手の型は、ナイハンチに始まってナイハンチに終わると同様に、那覇手の型はサンチンに始まりサンチンに終わると言われています。

 

この2つのシンプルな型のどこに実戦に通用する技術があるのだろうかと思われるかも知れませんが、ナイハンチの型とサンチンの型と共に基本形ですが、やればやるほど一番やさしくて一番むずかしいことがだんだんわかってきます。

 

ここに武術の技法無限、道無限の奥義があるように思われます。

 

繰り返しになりますが、ナイハンチの型とサンチンの型は共に武術者の魂がこめられている極意の集積であり、かつその人の自然体としての武術的な術技的身体に達し得る実戦技の源泉です。

 

この型の重要性を理解して、練磨から熟達すれば、これまでとは全然比較にならないほどの空手の熟達者となることでしょう。