空手の稽古は、古来、型を中心として行われていました。
それぞれの型は昔の達人たちが、長い間の修練と貴重な体験によって編み出した、受け、突き、打ち、蹴りの基本技を合理的に構成して、四方八方に敵を想定して、定められた演武線を前進後退、転身して演舞するものに完成させたのである。
そしてその一挙手一投足、すべて攻防の技であり、無駄な動作は一つもないと言われています。
型そのものは全身運動として、屈伸、跳躍、平均運動などあらゆる要素を含んでいるため、体育としても理想的なものとされている。
しかし、近年、スポーツ化が進む中で、型不要論などが囁かれていますが、今回は空手の型の意味するものとは何かを船越義珍師の「空手道六訓」より考えてみたいと思います。
空手の型の習得心得―空手道六訓―
空手道一筋で90歳まで生き抜いて空手道発展の礎を創り上げた船越義珍師が「空手道一路」という書籍の中で
空手の型の習得が空手そのものを理解することであり、そのための心得として「空手道六訓」として述べています。
空手を志す者にとって示唆の多いものです。ぜひ、一度目を通してみてください。
第一の心得は空手修業は真剣であるべし
真剣という言葉の意味は、ただ単に真面目に、という程度ではなく、立つにも座るにも、そして手を挙げるにも、また足を運ぶにも、何時も「相手があることを念頭におけ」という意味としている。
たとえば拳を突き出すにも、全身の力を持って、一撃の下に相手を屈服せしめるというほどの気迫がなければならないということです。
「もし突き損じたら、自分がやられてしまうんだ」というほどの覚悟と心持でなくてはならないのです。
ところが、いくら時間や年月をかけても、ただ手足を動かして飛んだり跳ねたりの稽古では、踊りの稽古と何ら変わるところがないのです。
そして、何年やっても空手の真髄は理解できないのです。
この真剣になりきる修業は、ただ空手道を修める者だけに必要なことではない。
世の中のあらゆることに対して、大いに役立つはずです。
世の中のことは、いうまでもなく人生というものはすべてが真剣勝負の筈で「やってみて、もし失敗したらやり直そう」というような生ぬるい心掛けでは、この人生に何ができるというのだろうか?
第二の心得は理屈抜きで黙々と修行に打ち込むべし
空手に限ったことではないが、何事も熱心の足りないものに限って理屈をこねる。
たとえば、空手の型を一つ教える。
そうすると「いくらやっても出来ないんですが、どうしたらいいでしょう」という。
問いただしてみると、これがまだ僅か2か月か3か月しかやっていなかったりするのだから驚かされる。
仮に「ナイファンチ」などという型は、非常に平凡な型で簡単なように見えるが、完全にこなすようになるには、
毎日、足が棒のようになるまで熱心に稽古しても、半年や一年で出来るものではない。
それが、わずか数か月で「いくら習っても出来ません」などというのだから恐れ入る。
稽古は口先でするものではない!身体全体でするものだ。
「他の人がやっているのだから、自分にも出来ぬ筈はない。どうしたら出来るのか、自分のどこが悪いのか」と自問自答しながら、自ら苦しんで練に練り、鍛えに鍛える。
それが本当の稽古というものである。
簡単に教えてもらったものはすぐに忘れてしまう。
しかし、自分の身体で会得したものは、一生涯忘れようとしても忘れるものではないのです。
第三の心得は一つの技を学んだら徹底するまで掘り下げて学び取るべし
一つの枝に熟達すれば、他の技にも自ずと相通ずるものがあるということが、自ら会得出来るようになる。
つまり、20幾通りの型も、せんじ詰めれば幾通りもないものだということが理解できるはずである。
だから一技に通ずれば、後はただ型を見て要領を聞くだけでどんどん身についていくものです。
第四の心得は慢心することなかれ、独善に驕るなということ
肩肘をいからせて、大道狭しと闊歩して、天下の豪傑を売りものにしているような者は、たとえそれが本当に強くとも、人はその人を心から尊敬はしないだろう。
まして、大して強くもないのに強そうに振る舞う程滑稽なものはない。
しかし、強そうな格好をするのは、、大抵こういった駆け出しに多いのである。
そして品位を傷つけ、体面を汚し、評判を悪くするのも、大体、こういった手合いなのです。
「ホウ、あの人が空手をやっているんですってねェ」と言われるようになれば、それはそろそろ本物に近いといっていいかもしれません。
第五の心得は短を捨て長を採れということ
人間は誰でも長所もあれば短所もある。
だから自分の心掛け一つで誰からでも学べるのであるから、他人の稽古を見て学ぶべきところがあったら、それはすぐに学び取るべきである。
他人がもし怠けていたら「自分はどうであろうか?」と反省することで自分の反省の資料も得られるというものです。
「3人行えば必ず吾師あり」という古人の言葉は十分噛みしめて味わうべきである。
第六の心得は毎日の生活のすべてが道徳であり、修行であるということ
空手道も最後は信仰にまでいかなくては本物ではないということです。
そして自他ともに相寄り相助けて精進修業して、人間完成の道に邁進してこそ真の空手道の悟りが開かれるのではないか、と思う。
最後に、その心得に参考になる親鸞上人の遺訓を味わってください。
『法華経を余人の読み候は、口ばかり、言ばかりは読めども、心は読まず、心は読めども身体は読まず、色心二法、ともに遊ばされたるこそ貴く候へ』
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