
平安(ピンアン)の型は空手の型としては明治になって作られた新しい型で、初段から五段へと上達過程を踏まえた構造となっているのが特徴です。
現在は多くの流派で、初心者用の型として、入門すると一番最初に学ぶ型で、昇級審査用の基本型として取り入れられているのが現実です。
本当に初心者用の型なのでしょうか?
平安の型を創作された糸洲安恒先生は、首里手のエッセンスを集め古伝の技術レベルを落とすことなく、護身術として即戦力で使える技術の抜粋にも、十分に検討を尽くしたとしています。
そのことは、糸洲十訓のなかで平安(ピンアン)の型は「毎日1~2時間で3、4年すれば奥深いところまで行く人もでてくる」という記述がそのことを示唆していると言えます。
空手の型 平安(ピンアン)とは
空手発祥地の沖縄では空手の鍛錬と伝習は型を中心に行われてきました。
『型に始まり 型で終わる』の言葉どおりで、一つの型の訓練に、ひたすら3年以上の歳月を費やしたといわれています。
平安の型は明治37年に発表されていますが、この時期は日清戦争(明治27年~明治28年)から日露戦争(明治37年~明治38年)を経て、富国強兵の機運が日増しに高まっていた時期です。
したがって、空手(唐手)に対する位置づけも現代の「体育」という概念とは明らかに違い、「武術」としています。
「糸洲安恒先生によって危険な技は除かれ、学校教育に合うように体育として再編された」と一般的に認識されていますが、明らかに違和感があります。
明治41年(1908年)に空手(唐手)が学校教育の正課に導入されています。
この時、旧沖縄県立中学校、旧沖縄県立師範学校で教課の枠組みに取り入れられた空手(唐手)は、形の訓練を主体としました。
その型は14種で次のとおりです。
- ①ナイハンチ初段
- ②ナイハンチ二段
- ③ナイハンチ三段
- ④ピンアン初段
- ⑤ピンアン二段
- ⑥ピンアン三段
- ⑦ピンアン四段
- ⑧ピンアン五段
- ⑨パッサイ大
- ⑩パッサイ小
- ⑪クーシャンクー大
- ⑫クーシャンクー小
- ⑬チントウ
- ⑭五十四歩
この中で①と⑨~⑭の七つは中国から伝来して、沖縄化したものを更に糸洲が改変して、平易なものにしたと言われています。
残る②③と④~⑧の平安(ピンアン)の型は、集団指導と教育的効果を狙いとして糸洲が創案したものです。
平安の創作には、古伝の技術レベルを保ち、護身術として即戦力で使える技術の抜粋にも、十分に検討を尽くされたようです。
それまでは、2~3種類の型しか知らない唐手家が多かったといわれているので、多くの型からの技術の抜粋は、全体のレベルを落とさないためにも必要不可欠だったのです。
従って、平安の型は、首里手のエッセンスを集めた型であるといえます。
空手の型 平安(ピンアン)の特徴
平安は松濤館流や日本空手協会では「へいあん」、沖縄の首里手や和道流では「ピンアン」と称されております。
内藤武宣氏は著書「空手道入門」でピンアンの型について、次のように記しています。
「この五つの型を完全にマスターすれば、日常もし、敵に襲われても、身を守れるので、安心して生活することができるという意味から「平安」の名がつけられた。従って、初心者はもとより空手を修めようとする者は、常にこの型を繰り返し練習して、完全に自分のものにしなければならない」
引用元: 「空手道入門」
糸洲先生は、 昔手、クーサンクー、パッサイ、ナイハンチンの手から、いくつかの手を参考にして取り上げピンアンの型を作られたと言われています。
糸洲十訓では「軍人教育に最適」であり「3、4年で奥までいける人が出てくる」という主旨のことが書かれています。
要するに、唐手術の稽古を通して得た心身が、軍人としての自信につながり即戦力が養えるとしているのです。
さらに、「短期間で上達できるように工夫されている」のと即戦力として実用が可能なものであり、その用法は口伝が必要」とあり、平安にも口伝が存在することを示唆しています。
しかし、ただ現在、多く見られる平安を初心者用の型として、昇級審査用の基本型として漫然と型を稽古している間は、その型の持つ武術的要素に気付かずにやっているから、技もレベルが低い状態でたいしたことはない。
すなわち、現代のスポーツに見られる筋力パワーを主体にしているために技が術にならないのです。
平安はあくまでも、首里手のエッセンスを集めた型ですので、この平安を稽古する前に、首里手の基本型であり、奥義の型と位置ずけられているナイハンチの型を充分に習得してから、行なわなければならないのです。
ナイハンチの型の真意を体得できていれば、口伝がなくても平安の武術的要素に気づき、理法を悟って、その首里手のエッセンスの技を理法を持って練磨し、熟達すれば、今までと違ってびっくりするような空手の練達者となれるのです。
この後に紹介する近代空手道の祖『糸洲安恒先生』が後の世のためにと考えて残された「糸洲十訓」(ないしは「唐手心得十ヶ条」ともいう)を熟読することをおススメします。
当時の沖縄県知事は、糸洲先生が学校採用の嘆願書を出した際、「唐手術の稽古を通して得た心身が、それほど軍人としての自信につながるものであれば、その有効性を率直に認め、県民子弟に奨励し、早速学校体育として採用するがよかろう」と言われたと伝えられています。
具体的には、空手(唐手)とはいかなるものかということを論理的に解明し、後世のために残されたものが糸洲十訓です。
糸洲安恒先生遺稿[糸洲十訓(唐手心得十ヶ條)]
前文
空手は儒仏道より出たものではなく、その昔、中国より昭林流と昭霊流という二つの流派が、琉球(沖縄)に伝えられたものである。両派それぞれ特長があり、そのままの状態を大切に守りながら伝えていかなければなりません。そのために、心得の条文を行を改めて書き記します。
第一条
空手は個人としての体育を養成するだけではなく、いずれのときでも国、親に一大事が起きた場合は、自分の命をも惜しむことなく、正義と勇気とを持って、身を犠牲にしてでもつくし、一人の敵と戦うのが主旨ではなく、万一暴漢や盗人に会ったときでも、なるべく拳足を使って傷つけないように心掛けること。
第二条
空手は専一に筋骨を強くし、体を鉄石の如く固め、また手足を鎗鋒に代用するものなれば、自然と勇武の気持ちを発揮させる。ついては小学校時代より練習させれば、他日兵士になった時他の諸芸に応用する便利があり、将来、軍人社会での精神面と術技面への何かしらの助けになると考えます。最も、英国のウエリントン候が、ベルギーのワーテルローでナポレオン一世に大勝した時にいいました。「今日の戦勝は、我が国の各学校のグラウンド及びその他の施設で広く体育の教育をやった成果である」と。実に格言というべきでしょうか。
第三条
空手は急速には熟練するものでなく、「牛の歩みは遅いが終いには千里以上に達する」との格言の如く、毎日一時間か二時間くらい一生懸命に練習すれば三、四年の間には一般の人と骨格が異なり空手の蘊奥を極める者が数多く出てくると思う。
第四条
空手は挙足を主体とするものであるから、常に巻藁にて充分鍛え、肩を下げ、胸を開き、強く力をとり、また足も強く踏みつけ、丹田に気を沈めて練習すること。その突く回数も片手に百回から二百回は突くこと。
第五条
空手の立ち様は腰を真直ぐに立て、肩を下げ、力を抜き、足に力を入れて立ち、丹田に気を沈め、上半身と下半身の力を引き合わせるように凝り堅めることが大切である。
第六条
空手の技は数多く練習し、一つ一つの技の意味を理解し、これはいかなる場合に使うベきかを確かめて練習すること。また入れ(突き)、受け、はずし、取り手の法があるが、それは秘伝になっておりますので、多くは師が弟子に対して口で伝えるようになっております。
第七条
空手の技は、これが「体」(基本鍛錬)を養うのに適しているか、また「用」即ち実用(応用技)を養うに適するかを予め目的と方法を確定して練習すること。
第八条
空手の練習をする時には実戦と同じ気迫で目をいからし、肩を下げ、体を固め、また受けたり突いたりする時も現実に敵の攻撃を受け、敵に突き当てる気勢で常々練習すれば、自然とその成果が現れるものであるので、くれぐれも注意のこと。
第九条
空手の練習は体力不相応に余り力を入れすぎると、上部に気が上がり、顔を赤め、また眼を赤め、身体の害になるからくれぐれも注意のこと。
第十条
空手熟練の人は昔より長寿の者が多い。その原因を探ると筋骨を発達せしめ、消化器を助け、血液循環をよくし、長寿の人が多い。ついては自分以後、空手は体育の土台として小学校時代より学課に編入し、広く練習させれば、将来、一人で十人の相手にも勝てるほどに優れたが人材が多く出てくると思う。
後文
右十ケ条の旨意を以って、師範中学校において練習させ、将来師範中学校を卒業し、各地方小学校で教鞭をとる際には細かく指示し各地方小学校において正確に指導させれば、十年以内には全国一般に広がり、沖縄県民だけのためでなく、軍人社会の一助にもなるものと考え、お目にかけるために筆記しておくものである。
平安の特徴は、糸洲十訓に書かれているように、「短期間で上達できるように工夫されている」のと即戦力として実用が可能なものであり、その用法は口伝が必要」ということです。
まとめ
空手の型 平安(ピンアン)は首里手のエッセンスを集めた型であり、決して初心者用の型ではないのです。
しかし、多くの流派が初心者用として、平安(ピンアン)の型を最初に教えているのが現状です。
それは、糸洲先生がこの型を創案するに際して集団指導と教育的効果を狙いとして体育的見地を踏まえて、創られているために、教えやすく、この型を長く鍛錬すれば立派な体が出来上がって行くことは言うまでもありません。
すなわち、平安の型が一般のスポーツ的な動きで、今までの日常的な身体の使い方の延長線上で外見的にできてしまうからです。
このままでは、力技になってしまい、糸洲先生が目指した「武術」としての平安の型にはなり得ません。
これが糸洲十訓に書かれている平安の特徴は、「短期間で上達できるように工夫されている」のと即戦力として実用が可能なものであり、その用法は口伝が必要」ということです。
私も空手を習い始めに平安の型から習いはじめたために、長い間、上に記したように「初心者用の型」としてあまり重要視はしていませんでした。
その考えが変わったのは、武道空手として空手を再構築するために、武術的身体を構成するうえで大事な正中線を身につけることから始めて、自己の力に頼らない、別次元の身体意識を身につけてからのことです。
武術的身体の構築について詳しくは、下記を参照してください。
[keni-linkcard url=”https://budoningenryoku.com/karare-naifanch/”]
さらに空手の型の鍛錬は、どの型の場合でも、めざすところは、ひたすら型を行ずることによって、心身は調い、身心脱落の境地を味わうことです。
この境地こそ平安の境地です。
最後まで記事をお読みいただきましてありがとうございました。