今日世界的ブームになっているヨガは、悟りを開く方法としてのきちんとしたヨガの行法ではないと言えます。
特に、物質が豊かになり、栄養過剰な日本のような現状になると、ダイエットするためとか肉体美を求めて、心身の健康に直接的に結び付くハタ・ヨガのなかのアーサナ(体位法つまりは体操)とプラーナーヤーマ(呼吸法)が中心となっているのです。
そして、便利主義と多忙な日常生活に追われて、自律神経失調に悩む人も含め、ヨガによって、心身の浄化ならびに正常化が行なわれ、現実に人々が救われている事実も存在しているというわけです。
しかし、ヨガの真髄は、〈人間如何に正しく生きるべきか〉という開闢以来の大命題を、きわめて具体的に、しかも明確無比に答えている古代インド人の驚嘆すべき智恵の集積ということを意味します。
人間が合理化の奴隷となってしまった現代社会で、復雑多岐にわたる社会生活の中で、心身ともに健やかな人生を送るためには、人間如何に正しく生きるべきかを知らなければなりません。
ここでは、そんな目的を達成するためのヨガの行法をご紹介します。
悟りを開くヨガの8段階の修行方法
ヨガとはサンスクリッ卜語で、漢訳して喩伽と音写した「結びつける」という意味の語根YUJから生まれた名詞で、「結合」や「調和」や「バランス」という意味です。
宇宙に遍在する生命力と、自己の本質である真我(プルシャ)との調和を示しています。
また自分自身の心の中に霊性(神性・仏性)を見出し、それと肉体の一体化をめざしているので、神との結合さらに大宇宙(大自然)と小宇宙である人間との結合という意味にもなります。
開祖はパタンジャリとされていますが、根本教典の「ヨガースートラ」では、ヨガ行法を8段階に組識的にまとめています。
第一段階…ヤーマ(禁戒=五戒)…守るべき心得
非暴力 正直 不盗 不邪婬 不貪
第二段階・:ニヤーマ(勧戒)…実行すべき心得
清浄 知足 努力精進 読経 献身・奉仕
第三段階・:アーサナ(三位一体の体位法)
第四段階・:プラーナーヤーマ(呼吸法)
第五段階・:プラティヤーハーラ(制感)
第六段階・:ダーラナ(一心集中)
第七段階・:ディアーナ(禅定=一心集中が絶え間なく続く)
第八段階・:サマ―ディ(三昧=宇宙の大霊と一体となる)
以上の八段階をまとめてみると、第一と第二の段階は道徳的訓練であり、第三と第四の段階は身体的訓練、第五と第六の段階は精神的訓練、第七と第八の段階は霊的訓練と言えます。
ヨガの行法の五大原則
ヨガ行法の本命となる瞑想は、一般に心身のコンディションが良好な時に禅定三昧に達することを可能にします。
従って調身であるアーサナ(三位一体の体操)も、調息であるプラーナーヤーマ(呼吸法)も、瞑想のための段階であります。
瞑想とは一心集中・心身統一の道で、時間・空間・因果の世界を超越して、神や佛と直結できる唯一の方法であり、人類の歴史の中で最大の精神的文化遺産なのです。
ヨガの悟りとは何か
個人の存在の本質である真我(プルシャ)と万有の本質である宇宙我(ブラフマン)とが、本来一つであるという即ち“梵我一如”を直観することがヨガ本来の修行法なのです。
“梵我一如”の心境に達した人は、確固不動にして物質的欲望から脱皮するので、土や石や黄金などの物質的価値観はなくなり、それらを平等に見るようになっていきます。
そのようなヨガの修行者を禅定三昧に達した人、すなわち「悟りを開いた人」というのです。
禅定とは心静かに瞑想し、真理を観察することで、三昧とは精神集中と精神統一の極限に達した静寂の境地ということを意味します。
また一個の人間は小宇宙なのだという、この小宇宙と大宇宙との結合と一体観は、古代インド人は真摯なる瞑想行によって窮極の概念として認識したのです。
そして、近代の科学では、奇しくも、大宇宙は60兆の天体から成り、小宇宙の人間一個体は60兆の細胞から成るということを公にしています。
釈迦の悟り
釈尊がプリンス時代出城し、ヴァイシャーリーのヨーギーアーラーダ・カーラーマの下で、何ものにも執着しない無一物の状態となる禅定について修行。
さらにラージャグリハのヨーギーウドラカーラーマプトラの下で、無念無想・精神統一の禅定による輪廻からの解脱について修行されたことは、あまりにも有名です。
釈迦は、何故に家族捨てて山の中に行ったのでしょうか。
何を求め、そして何に気づいき、何がわかったのでしょうか。
悟りを発見したというが、悟りの中身はどんな事なのでしょうか。
それは釈迦にとって、素晴らしいことであったに違いないのでしょう。
なぜなら、29歳で、家族を捨てて、出家(家出)して、35歳で悟りを開いたが、妻子のもとへは帰らなかったのです。
その後80歳まで、45年間、その発見し知り得た悟りをプライオリティー(優先順位)第1位の価値として語り続けました。
妻子のもとへ帰って、その後の人生を過ごすよりも妻子のもとへ帰らないで、その後の人生を過ごすことに、釈迦は価値ありと認めた、と考えざるをえません。
最高の価値、それは、何だったのか?
自然科学者は自然現象を観察して、法則を発見します。
観察なしには、確かなことに気づきませんし、ほんとうのことはわかりません。
そして、釈迦も、“私とは何か”と自問して、自己観察によって、法と「私」を発見した、と考えられます。
「私」を発見するーこれ以上の価値はありません。
ありのままに観なさい、と釈迦は教えます。〈如実知見〉
ありのままに観るとは、ありのままに自己を観察することと言えます。
釈迦の悟りにチャレンジ
釈迦がさとったというのなら、あなたもさとれないはずがありません。
なぜなら、釈迦も人間だし、あなたも人間です。
生物がこの地球上に発生したのが30億年前、人類が誕生してから300万年という歴史からすれば、釈迦は、つい一瞬先に生まれたに過ぎません。
大脳の前頭葉の発達状態にしても、あなたとほぼ同じだと考えられますよね。
釈迦がさとったというのなら、あなたもさとりたい、と思いませんか。
その方法については、「悟りとは何か?あなたも悟れる!釈迦の悟りの方法」を参考にしてください。
ヨガで悟りを開いた人
ヨガをマスターした第一人者は釈迦ですので、次はイエス・キリストの可能性もあります。
近世の最高のヨギと尊敬され、岡倉天心よりも一才歳下ではあったが、天心でさえも精神的な救いを求めたヴィヴェーカーナンダは、ラージャ・ヨガの大家だったのです。
彼はバアガヴァッド・ギーターの詩を引用して、「強烈な活動の只中にあって深い平和を見出し得る人、深い平和のなかにあって、強烈な活動をなし得る人、かかる人は偉大なる魂であり、完成に達した人である」と不滅の言葉を残しています。
“動中の静”“静中の動”の具体的表現だと考えられます。
ラージャ・ヨガの第一人者として、洋の東西で認められていた彼が、アーサナの行法を精進しなかったそのために、惜しくも39才で早逝し天寿を全うすることができなかったのは惜しい限りであります。
日本におけるその第一人者は聖徳太子であり、日本の宗祖方はそれに準ずることはいうまでもありません。
近代ではヨーギーとして正しいヨガの道を指導された方は、すでに故人となられたが、三浦関造、中村天風、佐保田鶴治の三先生であり、女性では藤田鳳子先生と田中恵美子先生ではないでしょうか。
この方々の日本精神文化における純粋なインド思想の普及とその偉大なる行道、智道の業績は新しい更生の時代に直面して、正しい生き方を求める人々の魂から離れることはないことでしょう。
悟り体験
価値ある人生を活きるには、先ず自分の本質の尊さを正しく自覚することが必要であります。
自己に内在する意識である潜在意識をみつめて、深層意識に最高の我の存在である真我(神我)を発見する科学がヨガの行法です。
“一般に正夢という明けがたに多くみる夢は深層意識の一つの現象である”とは有名な『精神分析学入門』の著者フロイトの言葉です。
深層意識は宇宙意識に直結するが、その宇宙意識との直結をめざすのが瞑想行ということになります。
瞑想は意識を一点に集中して、自我の働きを制御するので、静粛にして清澄なる時を保つが、それはそのまま潜在意識の浄化へと連って行き、無限に発展し、深層意識へと進み、真我に達するのです。
この真我と、宇宙意識であり宇宙原理であるブラフマンの直結こそ解脱であり、悟りの極地と言えます。
釈尊は苦行を脱皮して瞑想行によって正覚成道を全うされたのです。
その悟りへの道として“中道”を説かれたのであります。
同しような意味を、釈尊より少し遅れて出現した孔子は“中庸”として説いています。
中道は日常生活におけるテクニックの基本的方法であり、相互に矛盾対立する二つの極端な立場から離れた自由な立場の実践ということになります。
この中道を正しく理解して実践しないとヨガ行法を成し遂ることは不可能です。
動と静の対局的な運動の緊張と弛緩を止場し、その超越した微妙なる中道の真理こそ、瞑想の自然体であります。
人間のあらゆる動作の基本であり、瞑想行をはじめ武道や競技などの活動には、次の鉄則があります。
上体は虚にして虚…肩の力を抜くことに留意。
腹部は虚にして実…臍下丹田は力まずに自然に。
下体は実にして実
釈尊における瞑想のポーズは、ガンダーラの仏像はじめ千体仏など、全て三原則に即応して彫られています。
結珈践坐すなわち蓮華坐のポーズ(パドマ・アーサナ)に、両手を真正面の足のウラの上向きの上に重ね合せたポーズで、肩の力は虚です。
悟りと科学的な研究
21世紀は、瞑想の文化の時代であると指摘したのは、偉大なるヨギ、ヴィヴェーカーナンダであり、また英国の歴史家で文明批評家のトインビーです。
非物質的実在としての“魂”は、近代まで直接には科学技術的な研究の対象とはなっていませんでした。
しかし瞑想や坐禅の精神集中により、静謐にして大脳の活動を極度に低下させた状態で存在する特殊な意識は、“魂”を研究するための重要な手がかりとなりつつあるのです。
このような特殊な意識状態で深層意識に実現された微妙な内容は、単なる空想や理論だけではなくて、この世の三次元空間に顕在化する可能性を帯びてきています。
“心頭滅却すれば火自ら涼し”とは快川和尚の極限状態における悟りの言葉ですが、深層意識に定着した微妙な内容は顕在化するのであります。
バガヴァッド・ギーターは光栄あるウパニシャッドの真理を説き、水遠なる人間性の科学、そしてヨガの真随です。
ダーヴィンの進化論では、生物の器官形成と機能を進化の基準としているが、ギーターに説かれる解脱のための輪廻転生は、“魂の在り方”が進化の基準になっていることは、今後21世紀に向かう新時代に直面して大いなる指針となるでしょう。
物質的実在を対象としてきた現在までの科学は、近年とみに非物質的実在の重要性に気づきはじめ、量子論では三次元空間で観測できる“特殊な実在”が、物質世界の背後に存在するということを追究しているのです。
すなわち“非物質的実在”と“物質的実在”の相互相乗の転換交代という立場から観れば、現在までの科学が直線的な時間軸を規準としているのに対し、古代インド人が試みた現象を循環的な時間軸の上で把握しようという思考は、科学の上でも現実性を帯びて来つつあります。
科学は世界観を変えることによって新しい事実を発見してきました。
各派の宗教もまた一つの世界観に対するこだわりを捨てることによって、新しい進化を遂げる必要があることをインドの豊富にして複雑な思想は伝えているのです。
まとめ
長々と書きましたが、悟りを開く方法のひとつとしてヨガの8段階の修行法と5大原則と釈迦の悟りの方法などのご紹介です。
あなたが今後の人生を歩んでいく中で、あなたの人生の目的のためには必ず必要なものですので参考にしていただけたら幸いです。