幸せな人生とは、心の態度が非常に大事なファクターとして、この態度が積極的であれば、

はた目から見れば到底不可能と思われることでも、可能にしてしまうものなのです。

その積極精神は、消極的なことを打ち消す「相対積極」ではなく

たとえネガティブなことが起こっても消極的な気持ちになることもなく、

むしろ楽しみや感謝に振り替えてしまう「絶対積極」ということを意味します。

そうなるためには以下で提唱する「積極観念の養成法」を確実に成し遂げていけば、

いつのまにか「絶対積極」になっているはずです。

それでは具体的に何をすれば積極的になれるのか?を順を追って案内して行こうと思います。

(1) 消極的なものに同化しないこと

あなたの心に積極的態度が完全にできていないと、ほかの人の言葉や行動を
批判することなく自分のほうから同化してしまうことが数多くあると言えます。

いいかえると、あなたは暗示の世界に生きているといってよいほど、絶えず外界の状況や
その変化を感覚器官を通じてうけとる際に、暗示の力が大きく働いているんですよ。

これを細かくいえば、普通多くの場合、われわれは外界から絶えず入ってくるこれらの情報を、

それが積極的な影響を与えるものであろうと、消極的な影響を及ぼすものであるうと、

心は少しの批判も抵抗もなしに、無条件にそれに同化し、感化され易いくせがついているということです。

ところが、ここに見のがせない事実は、物質文明が高度に進み、強烈な刺激過剰の

現代に生きるあなたにとって、どちらかといえば、心を暗い方向に導く情報が、

明るいものに比べると、圧倒的に多いということです。

しかも、新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどで報道される内容は悪意はありませんが恐るべき誘惑なのです。

そこでこれからは外界からうけ入れるあらゆる事柄を、すべて無条件に賛同し、
心にうけ入れるという今までの態度を改めなければなりません。

それがもし暗い方向に心を導くものは、心にうけ入れることをはっきり拒否するという態度をとるのです。

すなわち感覚器官を通じて入ってくるあらゆる情報の内容を、一応しらべて、
それが自分の心をプラスにするか、マイナスにするかということで、取捨選択するんです。

暗示というものは、文字どおりあなたに対して、
これは暗示だぞと正体を見せて働きかけてくるものじゃないのです。

言葉、文字、行動、現象等宇宙間のあらゆる事象を媒体として、知らず知らずのうちに
あなたの心に同化感化の力を働きかけてきて同化するつもりがなくても同化せしめられてしまうことになるのです。

従ってあなたは日常感覚するもの一切に対して、この暗示の素材となる事象を分析して、
取捨選択する心がけを忘れてはならないということがおわかりになるでしょう。

(2) 心が積極か消極かを常に第三者の心で検討する

つぎに、現在あなたが思い、考えていることが、

積極的なものであるか、それとも消極的なものであるかを、

第三者の心になって、常にしらべてみるということが肝心なことだと言えます。

そしてしらべてみた上で、もし消極的な方向に向っていることを発見したら、
直ちにそれを心の中から追い出してしまわなければなりません。

ただこの検討をする時、感情をまじえたり、自分に同情したりしてはいけません。

ほかのことと違って、これを怒らずにいられるか、これを悲しむのは人情として当り前ではないか、

これを怖れるのは人間だから当然ではないか、というように自己弁護をして

暗くなっている気持ちを容認しては、あなたの心の中から消極的なものを追い出すことはできません。

あなたの現在の心の状態をしらべる時は、あなたが他人の罪を裁く時と同じように、

あくまで公平に厳格な態度で、明暗いずれに向っているかを判定しなければならないのです。

そして暗い方向に向っているぞと断定したら、時を移さず明るい方向に転換するよう自己の心に命令をくだすのです。

何が何でも、あなたが、今考えてることを同情とか批判というものを追い出して、積極か、消極かで断定をすることです。

そこで少しでも消極的と思ったら、断固勇気をもって消極的なものを心の中から追い出してしまうことです。

(3) 取り越し苦労をしない

ここに取り越し苦労というのは、物事に対し苦心し努力するといった意味ではなく、何事でも、それを苦にする、俗にいう苦労性の心の使い方を断然止めよということなのです。

取り越し苦労のほか、苦労を細かく分類すると過去苦労、現在苦労、未来苦労の三種があります。

過去苦労は過ぎたことで今更どうにもならぬことをいつまでもくよくよと思い煩らうこと。

現在苦労は現在目の前にある事柄を何でも苦にすること。

未来苦労がいわゆる取り越し苦労で、まだ来ない先きのことをあれやこれやと、それも暗い結果になる方向ばかり想像して思い悩むという苦労になります。

中でもこの取り越し苦労は、年齢や性別を問わず、多くの人が気が付かずに盛んにやっていることですが、断じてこれをやめなければいけません。

いずれにしてもこの種の人は長い間にその心の向け方が固定化して習性となり、
何事でも必ず暗い方向にばかり心を向けて考えてしまうことになってしまうからです。

この苦労性の心の向け方をしていると、人生に一番大切な現在の刹那刹那の楽しみというものが全く無くなってしまうのです。

中国の言葉に「心は現在を要す。過ぎたるを追うべからず。来たらざるを迎うべからず」というのがあります。

これを和歌にして「差しあたるそのことのみをただ思え。過去は及ばず、未来知られず」といっています。

いずれも過去や未来をあれこれと思い悩むことを戒めた言葉なのです。

ところが、ほとんどの人が、何事ぞと思う程、このことに対しての自覚持っていないのであります。

そこであなた自身が、自分は果たして苦労性の傾向がないか、自問自答して頂きたい。

他人にきかれると、あるいは自分はそれ程でもないと答えることもできよう。

しかし本当に自分は苦労性でないといい切れるかどうか、過去、現在、または未来に対し、
苦にして暗い気持ちに陥ることがないか、どうか反省して頂きたいです。

妙な理屈をつけて自己弁護していても事実はこれに同情をしません。

真理というものは本当に厳粛なものですから、ことの如何を問わず、

本当に心配することを心配した場合でも、心配しなくていいことを心配した場合でも、

事実は一つなのです。

その心の消極的態度が即座に反映して運命や健康に悪い結果をもたらします。

そしてもしそういう傾向が少しでも自分に認められるなら、今日以後、取り越し苦労に

さよならをする決意を固め、心の向け方を換える方法を真剣に実行することをお奨めします。

(4) 言行の積極化

このことは簡単なようですが、いざ実行となると気分のいい時は

気持ちよく応接できるけれど、心が少しでも暗くなっていると、

もうすぐにその応接に大きな違いが生じてしまうというのが、

世の中の多くの人の行動なのです。

それは今まで長い間、消極的な言葉を使い、消極的な行動をしていた人は、

それが習慣になって、言行の積極化を実行しようとしても、知らず知らずのうちに、

いつの間にか消極的な、元の杢阿弥の状態になっている自分を発見してがっかりすることが多いのです。

そこで、先ず最初に、今後あなたのいうこと、行うことのすべてを積極的なものに

しようという決意を固めることが必要不可欠なのです。

次に初めのうちは、今日一日だけでも、積極的な言葉と態度で終始しようと、

われとわが心に堅く誓って実行することです。

言行のうち、特に注意を要するのは言葉です。

言葉は普通単に人と人との間に意思を通じ合う道具だと考えられています。

しかし言葉のもつ力と働きをよくみると、決してそれだけのものではないことが分ります。

あなたは目が覚めている間は、絶えず何かを感じ、何かを思い、考えている。

そしてそれらを外部に表現する時、主として言葉を使うわけです。

言葉のほか、目付き、身ぶり、ジェスチュア、動作などで表現することもあるが、

はっきりと現わすためには、どうしても言葉を用いざるを得ません。

してみると、言葉は自分というもののその時の心の状態の現われであり、意思の表現です。

あなたは言葉によって、自分というものを表現している。

このように思考は言葉となり、言葉は行動となる。

思考と言葉と行動とは、一連の密接なつながりをもって、あなたの活き方を支配していることになります。

更に見のがすことのできないことは、

人間は他の生物には真似のできない複雄な思考を行い、高級な思想をもつことが出来るのです。

特に抽象的な事柄について考える場合は、言葉のもつ概念を基にしてそれらを整理し、

組み立て、まとめる作業を、頭の中でやり遂げもす。

たとえば民主主義的教育の方法とか、現代青年の理想像とかいうような問題についての考え方である。

この場合言葉が思考の基礎になっている。

すなわち人間は言葉で思考を表現するとともに、思考を言葉で行っているのだ。

このように言葉はあなたの思考を支配し、行動を支配するほどの大きな力と

働きをもっていることを忘れてはならない。

積極的な精神をもって、積極的な人生を建設しようとするものは、

先ず積極的な言葉を使うことから始めなければならない。

ところが現在世間の人々の使う言葉を観察すると、

消極的な言葉を口癖のように連発する人が実に多い。

「ああ弱ったな」「困った、困った」「もう駄目だ」「どうしよう」

「しようがない」「あきまへん」「助けてくれ」などの嘆声や悲鳴は、

それほどの事態が起ってもいないのに、日常よく耳にする言葉ですよね。

こういう言葉をなに気なしに、ふだん屡々使っていると、それが習慣になって、

それほど悲観すべきことでない時にでも、知らず知らずそういう言葉を吐いて、

その吐いた言葉が自分の耳に響くことで自已暗示となり、

その言葉どおりに自分の心持ちを、いやでも消極的な暗い気分にひきずり込んでしまうでしょう。

だから、あなたは自分のふだん使っている言葉を更めて検討して、

どうも自分はとかく消極的な言葉を使うくせがあると気が付いたら、

まず第一に実行すべきは、どんなことがあっても、不平不満を口にしないことです。

そして今までの長い習慣で、ついうっかりと消極的な言葉が口から出たら、

すぐそのあと一応打ち消して置く。

この方法をやってみると、最初のうちは少しやりにくいと思います。

何か虚勢を張って、自分の心にもないうそをついているような気がして、抵抗を感じるに違いないありません。

それは自分の心の状態が消極的だからです。

しかし暫らく気を付けてこの方法を続けていると、不思議にもこういう積極的な言葉が、

何らの抵抗なく口に出て、自分の心にぴったりしてくるものです。

ということは、心の積極化に成功した証拠ということになります。

このようにしてどんな難局に出逢い、悲境に陥っても、決して音をあげない、

弱音を吐かないくせをつけることが、

言葉の方から自分の思考の方向を積極的に変えていく有効な方法の一つということになります。

(5)対人態度

今まで述べた意味からして、他人に対する言葉なり態度なりについても、注意すべきことがあります。

それはどんな場合にも他人、たとえ家族のものでも自分以外のすべての人に対して、消極的な言葉や態度で接することを断然止めることだと言えます。

特に不幸不運な人や病弱な人などに対しては、できる限りその人を元気づけ、勇気づけ、その心に光を与え、明るい方向に導くような言葉を使い、そういう態度をとることを忘れてはいけません。

このようにすることは、ただ相手に大きな力を与えるばかりではありません。

自分自身に対してもこの上ない積極化への自己暗示となるのです。

「しっかりしろ」「元気を出せ」と呼びかける時、自分自身、しっかりして元気ある言葉と態度にならざるを得ないであろう。

これに反して、相手の悲境に同情の余り、その気持ちに引きずり込まれて、ともに嘆いたり悲しんだりすることが、相手を慰め、救う方法のように思うことは、とんでもない心得違いです。

たとえその時の相手の心情にぴったり合わないため、機嫌をそこねることがあっても、その人を本当に救う道は、飽くまでその人を力づける積極的な方向にあることを認識しなければいけないのです。

そしてこの方法によってこそ、結局はその人を立ち直らせ、事あれば互いに助け合う真実の人間関係は長く続くことであろう。

(6)正義の実行

正義の実行というと、何か非常に難かしいことのように考えられるかも知れません。

しかしここではそんな難かしいことをすすめようとするわけではありません。

 正義ということは昔から学問上種々に論議されている。哲学、殊に倫理学では、正義とは何か、正不正を定める基準はとこに置くか、またそれを判定する精神の働きはどういうものかなどと深く堀り下げて論ずる。

 また正義の思想については、政治上屡々自己主張の題目として利用されている。

力は正義なりとした近世国家の強権思想や、現代における共産主義と自由民主主義との対立の姿においても、自国なり、自己の立場を正義とし、相手は正義に反するものとして排撃し、自已を正当化するために、正義の名が使われている。

私はそのような理論や詭弁をここにとり上げようとするものではない。

ここでは、個人の積極精神の養成法として、次に述べる意味の正義の実行をおすすめしたい。 私は考える。一個の人間として、正義は権力そのものではない。またイデオロギー化すべきものでもありません。

人間の本質的なものが心に現われた姿、すなわち普通本心あるいは良心と呼ばれるものの命ずるところに従って行動すること、これが正義の実行であると思います。

人間には正常な心の持主であれば誰れにでも本心、良心というものがあります。

どんな極悪非道といわれるものにでも、その心の奥底には本心良心が潜んでいる。

ただ一時の利欲や、本能の衝動にかられ、本心、良心を蔽いかくして悪の行為に走るに過ぎません。

その証拠に、悪事を働いていることをできるだけ他人に知られまいとしちゃう。

もし正しいと本人が信じているならば、決してかくさず、堂々と明らさまに行動するに違いありません。

悪事であることはだれよりも本人自身がよく知っている、それは本心良心が悪であることを告げているからです。

 そこでどんな些細なことをする揚合にも、もしそれをすることに、なんとなく心にやましさを感じるならば、断然それをしないことです。

気がとがめる時は、きっぱりとやめることだ。現在はもとより、将来も決して後悔しないぞ、と思えることだけを実行していく心がけをもつこと。

これが正義実行の肝心なポイントである。

 思い起してみるがよい。子供の時、親の目を盗んでソットつまみ食いなどをした経験がありはしないか?

 ピクピクしながら、見付からないように苦心して行動する。

幼い子供心にも悪いということは知っているからだ。

そしてたとえ見付からず盗み食いに成功したとしても、あと味は余りよくないものである。

 正義の実行といっても、別に大げさに考えることはいらない。

日常の仕事の上でも、家庭内のことでも、正義の実行はできる。

どんな小さなことでも、気がとがめるようなことは一切しない、というだけのことだからである。

かつて孟子は「自から省みて縮くんば千万人といえども吾れ往かん」といった。

「反省してみて正しいと信じたら、たとえ千万人の反対者があっても、自分の正しいと思う道を進もう」というのである。

この気持ちであってこそ、正義の実行に必要な勇気が呼び起される。

 従ってこの心がけと実行とが実に積極精神の養成に効果的であります。

それはいつも明るく朗らかな気持ちで活きるためには、心に少しでも暗いかげを残しておいてはならないからです。

これで積極精神の養成法としての必要なことはお分かりになったと思います。

後は実行あるのみです。

人生を完全にするコツはどうしたらいいかということがお分かりになったのですから、後はちゅうちょなく、たった今から実行に取り掛かりましょう。