
この記事では坐禅瞑想の正しいやり方を具体的な方法でご紹介します。
このやり方をしっかりと身につければ、間違いなく不動の信念と胆力が備わった人間になることでしょう。
たしかに、坐禅の瞑想は、安定するまである程度の熟練がいります。
だから、たったの5分から10分でも良いですから、毎日続けることを最低90日はがんばって続けてください。
たったの5分から10分、毎日続けること、そんなの当たり前だと思いますよね?
でも、それができないのです。
坐禅の瞑想を始めるにあたって何が難しいのかというと、とても単純なことなのですが毎日“続ける”ことなのです。
ではなぜ90日かというと、そこまで続けて習慣化することであなた自身に坐禅の瞑想が「なじむ」からです。
そうすればしめたもの、坐禅の瞑想の習慣はあなたの一生の財産に変わります。
いってみれば「習慣化する環境をつくる」ということが、あなたにとっての真の才能であり、成功の秘密であるといえるのです。
「今までやってこなかったことを日々の習慣にしてしまう」と人は進化します。
それには、何も考えずにただやるということが、潜在意識の力によって飛躍的に結果を出すのです。
ですから、はじめはまず、無心になってただ、坐禅瞑想の正しいやり方をしっかり理解して実践することから始めてください。。
坐禅瞑想の正しいやり方
坐禅での瞑想は一人でどこでもできますので場所は一人になれる場所ならどこでも良いです。
部屋の温度は寒くなく、暑くないのが望ましいので、状況に応じて工夫をしましょう。
そして衣服については僧侶でないので、別に制約はないが、なるべくゆったりとして窮屈でない服がベストです。
要するにゆったりと、そしてすがすがしい気分で、坐禅ができるように心がければいいのです。
坐る場所には正式には円形の坐禅布団があるが、代用品で差しつかえはありません。
例えば、普通の座布団の上に、別の座布団を二つか三つ折りにしてのせて、その折った座布団にお尻をのせればいいのです。
私の場合は、寝床の敷き布団で、枕を坐禅布団の代用としています。
(1)坐禅瞑想の手足の組み方
足の組み方には結跏趺坐と半跏趺坐との二通りありますが、初心者は半跏趺坐からはじめる方がよいでしょう。
1、結跏趺坐
まず坐褥(又はその代用品)の上の坐禅布団(又はその代用品)に浅く腰をかけます。
左右の足を反対側のももの上に置いてください。
普通は右の足を左のももの上にのせ、次に左の足を右のももにのせます。
もちろん、その逆でもよいです。
最初は足がうまく曲らず、組めない人が多いが、練習すればできるようになります。
また、できても足が痛くて続けて坐ることが困難であるが、これも練習してゆくうちに、なれてうまくできるようになります。
2、半跏趺坐
左足を右のももの上にのせるだけでよい。
坐禅中、足が痛くなって、どうにも仕様がないときは、結跏趺坐を半跏趺坐に組みかえても結構です。
また半跏趺坐の場合、右足を左のももの上に組みかえでもよい。
しかし、足が痛いからといって三日坊主で終らぬようにすることです。
3、手の組み方
足が組み終ったなら、次は手を組む、まず右手の掌を上にして、へその直下で足の上におく、次に左手の掌を上にして、右手に重ねます。
それから両手の親指の尖端は正中線にそって臍の近くへ、両手首は水平を保つように心掛けます。
こうすることによって肩も水平になり、かつ下へ下がります。
(2)坐禅の瞑想方法の真髄は調身法―姿勢作り
ここは一番大切なところで姿勢が整っていなければ、どんなにながく坐っていても、何の役にもたちません。
坐禅のポイントは重心をしっかりと、布団上に如何に安定させるかということに帰するのです。
調身法の目的は臍下丹田と正中線の身体意識化
上体を真直ぐに直上させ、額の中央、即ち眉間から垂直線を引いて、それが鼻、口、臍を貫ぬき下るような姿勢を取ります。
この垂直線を坐った時の身体の最下部の中心―会陰―に重心を置き、頭頂の百会を貫くのが正中線です。
具体的には、鏡の前に坐って、鏡の上梓の中央から軽いおもりを付けて紐をたれ、これに自分の正中線を合わせてみます。
これで姿勢の左右均斉がとれます。
そこで重心を会陰に集中させ、頭頂の百会を天から吊り下げ正中線が感じられるようになると臍下数センチのところの丹田に正中心圧が生まれます。
この正中心と重心の落下点とが一致する時に、最も安定した姿勢が得られます。
長く坐っていると、自分が果して垂直の姿勢を保っているのかどうか分らなくなってしまうことがあります。
その時はすぐ、正面に一点、或いは縦の一線を見定めて、姿勢をこれに合わせる工夫が有効です。
また両方の臀部の坐骨にかかる圧力を、心の中で計ってみるのもよいでしょう。
最も有効なのは、眼をわずかに伏せて、宝珠の形に立てた母指が、鼻の真下にあるのかどうかを確かめることです。
坐禅の感じは、身も心も消え去って、人が坐禅しているというのではなく、重心のみがデンと、布団に坐りこんでいるというのが調身法のコツです。
まず顎を軽く引き、首筋を真直ぐに立てて、脳天(百会)が上から糸で吊られているという感覚と身体の最下部の中心―会陰―で地球の中心からの重力の感覚で正中線を立て固定します。今まで感じられなかった「重力」を正中線を通して体感するのです。
この姿勢を保つ努力をする時には、適度の筋肉収縮が全身におこります。
中庸度の等尺性収縮が全身に行き渡ると上腕・前腕・顔面・首筋・肩・胸等に平常時と違っだ感覚がジーンと沁み入るような寂静感が同時に起こってくるのです。
その際のジーンと沁み入るような寂静感が、入禅定の始まりとなるのです。
そこで、上記のように正中線が感じられるようになって来たら、正中心圧が生じている丹田に注視を向けてみると、丹田を中心として、全身に波動が伝わって全身的な美妙なせんりつとなり、全身に波動が伝わって行くのが感じられるようになります。
とにかく、坐禅実践中に心の目を向けるのは丹田で、常に丹田を注視しているということを心がけなければなりません。
(3)坐禅瞑想の呼吸法
まず最初に大きく溜息して胸の中にある古い気を吐き出します。
この場合は口を開いて行ないます。
このことを道元は「欠気一息し」と、いっていいますが、2~3回やって胸のわだかまりや邪念を一気に吐き出すイメージと共にすると、心持がスッキリとして集中しやすくなります。
それから静かに数息観に入り腹式呼吸で一呼吸ごとに一つ、二つと自分の息を1から10まで数えます。
その腹式呼吸は胸部の外肋間筋・胸部・頚部の胸郭挙上筋、肩帯挙上筋等の吸息筋は、は出来るだけ静止状態に置き、主として横隔膜と腹筋の活動で呼吸をおこなう工夫をするのです。
そして横隔膜と腹筋の呼吸筋緊張が丹田の緊張をつくり、そこから作り出された求心性神経インパルスが、脳の活動を一点に集中させ、注意力、即ち意志力即ち精神力を生み出すのです。
数息観の秘訣―坐禅の瞑想効果が上がる具体的なやり方
繰り返しになりますが、坐禅の呼吸はすべて、腹式呼吸です。
腹の底へ息を吸い、腹の底から息を出します。
吸う息で「ひとォ……おォ……」と心の内で唱えるのです。
吸気を一杯に使って唱えると、これはどうしても2つの音になります。
始めに「ひとォ……」という音、それに引きつづいて「おォ……」という引きのばした音が出てきます。
これは、2段に息を吸いこんでいることになります。
そしてその2段目の「おォ……」と唱える時に、腹の底深く息が入って行きます。
2段呼吸と言っても極く自然に引きつづいて起こってくるもので、決してギクシャクしたものではありません。
これを「ひとォ……」といっぺんに息を吸って行くやり方と比較してみて下さい。
両者を比較してみると、2段法のほうがあなたを、更に深いところへ導いて行くものであることか分ります。
次に、呼気に移って、これも「つゥ……うゥ……」と引きのばして2段で出します。
この要領で、次の「二つ」も「ふたァ……あァ……(吸気)、つゥ……うゥ……(呼気)」と唱えます。
その次の「三つ」も同じですが、これにはちょっとした工夫を入れます。
即ち、「みィ……いィ……(吸気)、ッつゥ……うゥ……(呼気)」と唱えるのです。
「ッつゥ……」と記したのは、「つゥ……」という前に「ッ」と息が詰ったような、呼吸筋の緊張を置くのです。
これは呼吸筋が次の「つゥ……」を発せんとして、みずからを引きしめた時に現われる緊張です。
その時の呼吸筋の強い緊張は、強い求心性刺激を脳に送ることになります。
そんなこと煩わしいと思ケならば、しなくてよい。ただ一度や。つ。でみ。て、その効力を認めた
時ぼ、その次がらはそれが自然に出七ぎて、技巧と。も煩わし。い。とも感じなくなるでしょう。、
以下「よォ……おォァ……(吸気)、ッつゥ……うゥ……(呼気)」
「いつゥ……うゥ……(吸気)、つゥ……うゥ……(呼気)」
「むゥ……うゥ……(吸気)、ッつゥ……うゥ……(呼気)」
「ななァ……あァ……(吸気)、つゥ……うゥ……(呼気)」
「やァ……あァ……(吸気)、ッつゥ……うゥ……(呼気)」
「ここのォ……おォ……(吸気)、つゥ……うゥ……(呼気)」
「とおォ……おォ……(吸気)、おォ……(呼気)」と唱えて行きます。
数息観における呼吸数は、一分間に3呼吸、10分間で30呼吸程度に坐るよう時間をかけて、気ながに練習するようにしましょう。
坐禅時間は初めのうちは5分~10分程度から始めます。
段々に時間をのばして30~50分程度を毎日継続してやると良いでしょう。
一度に2~3時間やってあと休み、また思い出したように20~30分やるというのではたいして効果は望めません。
それより毎日規則的にマイペースで継続することが大事です。
坐禅瞑想の目的―随息観で息になりきる
数息観を実践して、それにやや醇熟してくると、その数えるということが何やら邪魔になってくる時があります。
意識活動を絶した、禅定的なものを求め始めるからです。
そこで数えることを止めて、自分の息をジーッと見つめているということが自然に起こってきます。
それが随息観の始まりであります。
自分の息をみつめると言いましたが、本当は、その息に自分を打ちこむのです。
打ちこむとは、その息になってしまうことです。
ところで随息観で自分の息に成り切った時に、実際にあるものは丹田の圧力です。
呼吸作用は丹田圧によって営まれているからです。
丹田圧は意志力です。
この意志力が禅定をもたらしています。
禅定内では禅者は自己の禅定に気付かないが、気付くと気付かないに拘らず、それが意志力である故に、自主性は失われてはいません。
これを自主三昧と呼びます。
この自主三昧が、普通に言われているような、何事かに夢中になってわれを忘れている状態とは大いに相違する点です。
怒りにわれを忘れているとか、嫉妬におのれを失っているとか、喧嘩でなぐり會っているとか、わめいているとか、事件にあって心が顛倒している等と、随息観で自分の息に成り切って、他の一切を忘れているのとは、全く異なったものです。
真の三昧はこの自主三昧で、自主を失って夢中になっているのは、禅で言う意味の三昧ではありません。
随息観とはもはや息を数えず、ただ静かに、出る息、入る息を追うだけです。
息の出入だけに心がついて行くのです。
この段階は不思量と異なり、湧く雑念(表象)も少くなるか、あるいは全くなくなり、非思量の段階となります。
絶対の安息、大安楽になるのです。
まとめ
初めて数息観を試みる時には、何のこれしきりの事がと考えるけれど、実際にやってみると、それが容易でないことが分ってきます。
「一つ」「二り」三つ」くらいまでは、無難に数えられるが、「四つ」「五つ」のあたりで、ぷつりと糸が切れたように連絡を失って、他のことを考え始めます。
雑念が出てきて、それに注意が外らされるのです。
しかし間もなく気がついて、数えるほうへ立ち戻ろうとするけれど、どこで糸が切れたのか覚えていない。
仕方なく始めの「一つ」から出直さなければならないということが起こります。
このように、初心のうちは、この数息観で何遍も失敗して、始めてこんな簡単なことがどうして出来ないのかと、自分ながら驚きます。
呼吸の数を数えるということは、雑念(表象)を思量(思考)にまで発展させないで、雑念が起きた瞬間、消滅せしめるための手段なのです。
数を数えているので、それを思量(思考)にまで発展させ得ないのです。
すなわち思量にまで発展させると、その間、数の方がお留守になって、わからなくなるのです。
そこで、必要不可欠な5つの「坐禅中の心構え」を示しておきます。
以上の状態に入るときに、大脳の新しい皮質は完全な休息状態に入り、心が安らぎ大脳の古い皮質は生き生きとしてきます。
坐禅瞑想の正しいやり方をわかりやすく具体的な方法として解説してありますので、毎日規則的にマイペースで継続してみてください。